僕の父親は自営業で
地質調査という 建物やインフラ施設をつくるときにその地盤が安全かどうかの調査をしている
この年になって改めて父親の経歴に興味を持って先日岐阜へ帰った際に
魚釣りをしながらじっくり聞いた
司法書士事務所で働いたり、喫茶店を経営したりかなり色んな事にチャレンジしてきたようで
そして失敗もしてきたそうで
僕は私立の大学に行った
弟も私立の大学に行って、東京で下宿していた
奨学金は借りていない
そこにどれだけのお金がかかるか今ならリアリティーをもって想像できる
その時 親父の事業は好調で僕らを当たり前のように大学に行かせてくれた
それから 時はたって 浮き沈みはあるものの 父と母 二人で暮らしていくだけの最低限のお金はしっかり稼いで 家のローンも払い終えた
最近ふと思うことがある
1円を稼ぐ事の尊さ を
世の中には沢山の仕事や事業があり
皆 社会に対して何かの価値を提供してお金をもらっている
一杯のかけそば から 巨大なビル まで
そこに◯◯円 という数字が大なり小なりついても
何らかの幸せを誰かに提供している
まれにその枠から外れた手法で 数字を稼ぐ事例があるが社会はそれを監視し取り締まられ 淘汰されていく
1円を稼ぐ
0を1にするためには
自分は社会に誰かに何にどんな価値を提供できるか
考えて 選択し 行動しなければならない
そこに失敗があれば反省し 奮起し また行動しなければならない
だからこそ
その仕事でお金を稼いだ という事は 本当に 本当に尊い事だと思う
その仕事にお給料が発生したという事は
誰かや何かがその価値を受けて御礼をしてくれたということ
それができることの凄さを 僕は最近すごく感じる
父をはじめ
世の中で色んな仕事をしている人達を尊敬する
そして
頂いたお礼に見合う仕事ができているかを 考えることも大切だと思う
労働所得だけでなく 不労所得というものもあるけれど 例えば株式投資も 世の中の会社の背中を推す行為だからその先に 社会にどんな価値が提供されているかを考えてみる
その価値も社会にとって欠かすことのできないもの
近江商人の 売り手によし、買い手によし、世間によし という三方よしの経営理念は
仕事の
1円を得るための
本質なんじゃないかと最近強く思う
財布の中で 申し訳なさそうに光る1円玉をみて
自分にできる仕事を全力でしようと考えている
営業の途中でよく行く定食屋のお母さんが作ってくれた サバ塩定食 800円