中山将の雑文と詩

シンガーソングライターです。妻と息子2人と暮らしてます。詩を書きます。絵も描きます。音楽も作ります。

優しさ(令和元年10月27日午後 時点)

 

今書いている曲に「優しさ」という言葉が入っている

僕自身 今まで書いてきた曲によく入っていますし

生きていくうえで よくぶつかる壁です

また、息子と一緒に考えてみたいテーマでもあります

 

例えば

電車の席を譲る

という行為で考えてみました

 

明らかに体調が悪そうだったり、辛そうな状況の人が目の前にいたら

その上自分が健康なら席をゆずるべきだと思う

逆に自分がむちゃくちゃ体調が悪かったとして

無理をして席をゆずると一家の大黒柱として働く自分が壊れてしまったら

家族に苦労をこうむらせる事にもなる

 

 

目の前におじいちゃんがいて

そのおじいちゃんが今から健康のために登山に行くおじいちゃんだったら

足腰を鍛えたいのに電車ごときで座るわけにはいかんと思うかもしれない

若者VS若者が熾烈な席取り合戦をしていて

敗者となった若者に席を譲ってあげることは

自分の力で何かを掴むという感覚を若者に教える為には やってはいけないことかもしれない

逆に 奪うことからは憎しみばかりしか生まれない 与えることからWINWINの関係性は生まれる ということを教える為に 若者に席を譲ってあげることも必要かもしれない

 

こんな例を書き続けていたらこれだけで終わってしまいそうですが

 

大事なことは 自分自身のルールを持つ ということなんじゃないかと思います

 

何か事象が起きたときに 優しさが100あるとして 55は他者にあげよう

残りの45は自分を守るために使おう と

当然、相手や状況によってその配分は変わってくると思います

 

95を他者にあげて、自分には5しか残さなかったことで自分が潰れてしまってはいけないし

100を自分自身に使ったとき、その先に 孤独 という もっとも辛い状況が待っているかもしれない

 

だから、日々生きていく中でトライ&エラーを繰り返すしかないと思います

時に人を傷つけてしまって、自分の愚かさに気がついたり

優しいだけじゃ 駄目な事に気がついたりする

そのトライ&エラーを繰り返していくうちに 自分自身のルール が少しずつ見えてくると思います

 

こういう状況だったら この配分だ  というルールが

 

僕自身は 人に良く思われたい、嫌われたくない という志向の強い人間で

80を人に渡したりして自分も満足しているシーンが多くあります

でもその結果自分が辛くなったり、結局 臭い物に蓋をしてしまったりするシーンがあります

それは優しさというより弱さなんじゃないか

ときとして自分に80残す選択肢も必要なんじゃないか

 

だから 自分自身のルール を持とうとする勇気

そのためにトライ&エラーを繰り返す勇気が必要なんだと感じています

 

金八先生の歌「贈る言葉」に

 

人は悲しみが多いほど人には優しくなれるのだから

 

とあったけどそういう意味もあるんじゃないかな

めんどくさくて生真面目な課題だけどそれを表現することができるツールが

詩や音楽だとも思っています

 

令和元年10月27日午後 現在 そんなことを考えています

 

 

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