中山将の雑文と詩

シンガーソングライターです。妻と息子2人と暮らしてます。詩を書きます。絵も描きます。音楽も作ります。

おにぎりについての考察

おにぎりについてあくまで個人的な考えを

メモのように書き記します

 

3年前のお正月 妻のおばあちゃんが住む香川県に行き

親族みんなが集まる中

焼肉

お寿司

ぶりしゃぶ

とそれはそれは贅沢なものを食べて

もうお腹いっぱい涙

となってたときに

さらにおばあちゃんが「おにぎりでも作ろうかね」

と言ってくださった。

正直「もう限界‥」と思いながらも

おばあちゃんが握ってくれた塩おにぎりを食べた時

あまりの美味しさに感動した

 

おにぎり はいつもいつも食べるものでは無くて

ふとした瞬間に 母や親族が 差し出してくれる

その度に 涙が出るくらいの美味しさを感じてしまう

 

おにぎり三昧 というチェーン店が岐阜の母校の近くにあり 部活の帰りによくみんなで行った

 

この前 仕事の昼食に当てど無く入店し 

おにぎり2個と卵焼きとお味噌汁を食べた

涙が出そうなくらい美味しかった

 

食事に関して

生理的に欲する食事

未経験を欲する食事

があるように思う

 

大人になると 何かと経験値が増えて

未経験の食事を求めて外食したりする

外食産業もビジネスなので さまざま試行錯誤して

色んな味付けが足し算されていく

足し算し過ぎると

「あれこれちょっとごちゃごちゃし過ぎたな」となって

引き算してみたり

足すものを試行錯誤したりする

 

新たな食事を求める旅は続いていき、時々

あれ?何を求めてたんだっけ?

となったりしてないだろうか

 

作り手も

食べ手も

 

たまに食べる おにぎり に猛烈に感動するのは

 

ああーそうだそうだ 結局 これだったなあ‥

 

という感動なのでは無いかと思ってしまう

 

だからと言って人々は旅をやめることはない

進化や変化なくして人類の発展は無かったのだから

 

ただ時おり

 

あれ?おれ何のためにこんなに変化してきたんだっけ?本当に求めているものって何だっけ?

 

ってなる。

 

こんな事の 行ったり来たりの繰り返し

これが人生なのでは無いかな

 

 

僕は今

 

 

おにぎり を信じる

おにぎり を極める

という視点を今持っている

これは確定では無い 

あくまで現時点の仮説として

 

おにぎり に突き進む道はどうかと考えている

 

おにぎり

おにぎり

おにぎり

 

クリスマスデートに おにぎり はどうか?

 

 

いやだ!

 

 

息子のバースデーに おにぎり はどうか?

 

 

だめかな‥

 

 

 

でもあの日 おばあちゃん が作ってくれた おにぎり は何だったのか?

 

お米

のり

たったそれだけの要素 でこんなに美味しいものが生まれるという職人芸への感動か?

 

それとも

生理的に人間が求める食事の要素が

過不足なく最適に与えられているからか?

 

はたまた

おばあちゃんの愛情 という理屈では説明できない大いなる力か?

 

いや

僕が単純に おにぎり大好き おにぎりサムライ なのか?

 

 

 

おにぎり が出されて嬉しいタイミングはいつか?

寒い現場仕事の際に、昼食で作ってくれた

おにぎり

 

お母さんが夜食で作ってくれた おにぎり

 

あの日おばあちゃんが作ってくれた おにぎり

 

 

 

そうか!!

おにぎり は簡単に作れるから

身近な人が

身近なタイミングで作ってくれるのだ

作ってくれた人の顔や思いが

他の食べ物よりも圧倒的に伝わってくるのか

 

 

おにぎり は作り手の愛情をとても近く感じることができるのか

お腹を空かせている自分に

「何か食べさせてあげたい」

「美味しい って思ってもらいたい」

っていう気持ちが伝わってくるんだ

 

 

 

仕事で疲れた人へ

勉強を頑張ってる人へ

目標を見失っている人へ

かわいい孫へ

身も知らない空腹の人へ

 

おにぎりは作られる

そこには損得で語り得ないものが溢れている

 

ありふれた言葉を使うならば

 

愛だ!

 

 

逆に愛の足りないおにぎりは

本当のおにぎりには

ならないのかもしれない

 

 

 

僕ら人間は

家に帰りたがる

故郷に帰りたがる

愛をくれる人の所へ行きたがる

裏切らない場所へ

 

旅をして

冒険をして

それは沢山の未知があり

刺激と興奮

失望と歓喜

さまざまな発見がある

そんな人生はとっても楽しい!

だから旅は必要だ

 

でもどこかに帰る場所も必要だと思う

 

帰る場所があれば

きっとまた次の旅の価値が生まれる

 

 

 

おにぎり はそんな帰る場所なのでは無いか

 

 

おにぎり が持つその

愛に溢れた安心

 

それが おにぎり の本質なのではないか

 

僕は おにぎり を作ってみたいし

おにぎり と向き合う機会を増やしていきたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明後日

第二子が産まれる

 

そんな今日のおり

なぜ突然 おにぎりについての考察 を綴っているのか

 

わからないけれど 

おにぎり みたいな愛を自分の中に持っていたい

 

 

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