中山将の雑文と詩

シンガーソングライターです。妻と息子2人と暮らしてます。詩を書きます。絵も描きます。音楽も作ります。

遠くにいても見える友達 ヤマタツ

作詞をしている夜

ふと昔書いた文章を見つけました

中学校の友達ヤマタツについての話です

面白かったのでもう一度掲載します

 

 

東京の色んな駅で降りるたびに 自分の好きな感じの喫茶店を探しているのですが やはり岐阜や名古屋に比べると少ないような気がしています


結局今日も 家の近くにある喫茶店に入って こうして文章を綴っているわけです






今日はふと中学校のことを思い出したのでそれを綴ってみようかと思います。


僕は糸貫中学という岐阜のなかでもかなり田舎で田畑や山々に囲まれた環境でした。

そんな中学生活でヤマタツというアダ名の友達がいました。

ヤマタツは食にとても卑しくて 給食で鮭のムニエルなどが出たときは、みんなに

「おう、鮭の皮くわねぇならくれよう。」

と言って。鮭の皮を集めていた。
僕のところにも来て、

「しょう!鮭の皮くわねぇならくれよう。」

となんとも間の抜けた声色で、言ってきた。
そんなヤマタツの皿には、鮭の皮がやまもりになっていた。

僕は
阿呆なやつだなぁ。
と思いながらも、なんだか可笑しくて笑ってしまった。



そんなヤマタツとは、中学校時代なんだかんだでとても仲が良く、一緒に魚釣りをすることが多かった。

ある日、放課後ヤマタツと近所の池に釣りに行って、ボケーっと池を眺めたいたらヤマタツ

「しょう!スゲーうまい、肉うどんが食える店見つけたんだよ!マジうめーよ!ビックリするぞ!」

と 少し興奮したようすで、話し出した

「へぇーどこなん?」

ときくと

「なかたまや って店!」

聴いたことがないなぁと思った

「ここから自転車で一時間ぐらいかかるんだけれどマジでうまいから行こーぜ!」
とヤマタツは興奮していたので、よっぽどの名店だと思い、便乗することにした。


その日は、本当に暑い夏の日で 岐阜には川が多いため2つの橋をこえて やっとの思いで御店にたどり着いた。

その時僕は絶句した 。
とても、見覚えのある赤い看板

なか卵屋」の看板だった

ヤマタツは訓読みしていたのだった。
何処にでもあるチェーン店に一時間かけ汗だくで、食べる ごくごく普通の肉うどんに、なんだかまた阿呆らしくなってきて 笑ってしまった。







ヤマタツはサッカー部だったのだけれど。うまくなかったから、メンバーの足りなかったゴールキーパーになっていた、でもレギュラーのゴールキーパーがいたので、いつも補欠だった。

僕は当時は陸上部で 同じグラウンドで練習していたので、サッカー部の様子はいつも見ていた。

ヤマタツが練習をサボっていた記憶はなく、いつも汗だくになって、ボールに飛びかかっていた。

中学三年になり 部活の引退が近くなってきた頃、学校にいくと ヤマタツの頭が丸坊主になっていた。

「どうしたの?」
と聴くと

「昨日の試合でやっちまってさ、それで。」

詳しく聴くと、サッカーの試合で久しぶりにゴールキーパーでヤマタツが先発したのだが、味方からのパスをクリアしようとしたらなんと空振りして オウンゴール してしまったらしい。

僕は、また可笑しくて笑ってしまった。



僕はヤマタツの事をずっと 阿呆だと思っていた、でもよくよく考えると 彼は何時でも真剣で、努力をして、素直だった。

そんな彼を 笑うのは良くない。

でも、僕が笑うと ヤマタツも腹を抱えて笑ってくるので、

ああ、笑っても良いんだ。

と思って、さらに笑った。



自分の努力を 辛辣に捉えずに笑いながら、次の日また直向きに取り組む ヤマタツの姿は。

真面目なだけ じゃつまらない、笑えないんだ

という、命題を僕に教えてくれた気がする。

そういうヤマタツだったから、一緒に釣りに行って釣れなくても 落ち込むでも、苛立つでもなく のほほん と過ごせたんだと思う。



あれから 何年もたって 大人になって
笑ってはいられない場面が沢山あるけれど、そういうときは

なかたまや の肉うどんを食べて、クスッと笑ったりする。

そうすると、不思議と 気持ちが楽になって 朗らかに生きていける気持ちになる。
そしてヤマタツに他ではなかなか感じ得ない尊敬を覚えたりする。

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